2007/11/17

ところでWeb3.0って

一体何?


まぁ単純に言って「Web2.0の次に来るモノ」ってことくらい猿でも分かる。

でもまだコレといった定義はない。
皆好き勝手にアレコレ言ってる状態だ。

そりゃそうだよね。
"Web2.0"だって明確な定義はなかったんだから。
これは提唱者のティム・オライリー氏がひろゆき氏との会話でも明かしてる
CNET 11/15『ひろゆきがティム・オライリーに直接きいた、「Web2.0ってなんだったの?」』)。
けどマーケット的にはキャッチーだし、時代の変化を再認識するためのラベルとしても
決して無効ではないだろう。


例えば今日現在、googleで"Web3.0"を検索すると244万件ヒットする。
"Web4.0"で検索しても37万8千件ヒットする。
(ちなみに"Web2.0"だと2千140万件だ)
皆それだけ「次は何だ?」とエモノを狙ってるワケだ。
近い内にこの言葉を冠した記事がIT系サイトに踊り、書店に並ぶことは想像に難くない。
俺はエモノ探しには興味ないけど、Webの将来を考察するのは楽しいので
ここはひとつ無責任に俺的に「こうだったらいいな」って考えてみようって寸法だ。



でもその前に。
まず"Web2.0"を整理しておこう。


まあこの言葉については上のオライリー氏の発言もある事だし、
業界の識者の方々が高尚な分析をして下さっているのであまり追求しない。
ここでは俺なりの解釈で進めさせて頂く。

俺なりの解釈としては、先日のエントリ(ヘタレSEはWeb3.0の夢を見るか?(前編))でも述べたとおり、
「Webのフェーズが変わった」ということ。

もう少し具体的に言うと、Webそれ自体が一種のプラットフォームになり
不特定大多数無限大の人々がある一つの物事にアクセスする敷居が格段に低くなったことだと思っている。

そしてこれはgoogleのシンプルかつ高速で正確(ということにしておく)な
検索エンジンによって実現されたところが大きい。



では、その先にあるものは何だろう?



確かにgoogleの検索は素晴らしい。
知りたいことがあれば「ググれば」大抵の事は分かる。
それも瞬時に。
これは素晴らしいことだ。

でもgoogleのみならず、検索システムの最大の難点は
「検索する」という能動的な行為をしなくてはならないことだ。

コンピュータに慣れた人なら検索行為は苦ではないが、
そうでない人には検索どころか文字を入力するのだって一苦労だ。

これがテレビやラジオならば放っておいても向こうから情報がやってくる。
言わば受動的な姿勢のままで済む訳だ。
能動的と受動的、どちらが情報の伝達範囲が広いかといえば圧倒的に後者だろう。
前者は情報伝達の範囲と深度が「狭く、深く」、後者はその逆って感じ。

それに検索は結局のところ過去のある時点でキャッシュされた情報に対してしか行われない。
現在進行形でリアルタイムに起こっている事象については検索できない。

また、googleの検索エンジン(正確にはページランクアルゴリズム)はブラックボックスだ。
googleはその多くのサービスやAPIをオープンに無償で提供しているが、
ページランクアルゴリズムは結局のところソースレベルで公開されていない。
今のところは問題ないように見えるが、その状態が果たして今後も続くだろうか?

この難点をクリアすることがまず第一の課題だろう。


ということを考えながら梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読んでいたら、
まさにそういうことが書かれていて「ああやっぱし」って思った。
(遅まきながら俺は江島健太郎氏のブログでこの著書を知って読んだクチです サーセン)


でも、その課題をクリアしてもそれは大変革ではない気がする。
とても大きなブレイクスルーではあるけど、"Web2.5b"レベルのように思う。


俺が個人的に次のWebに期待するのはこんなことだ。


 1.世界中に遍くWebが普及し、誰もが自由にWebにアクセスできるようになること
 2.Webがダウンした時でも一定のサービスを享受できること
 3.Webにアクセスしている時(オンライン)とアクセスしていない時(オフライン)
   のバランスを自分でコントロールできるようになること


こう書いてみると当たり前っぽいな。
でも一つずつ詳細に見てみよう。


1についてはイメージしやすいよね。
パソコンが普及したといっても途上国なんかはまだまだこれからだ。
100ドルPCなんてのも出てきてる通り、今後一定の勢いで世界に普及していくだろう。
携帯・モバイル機器や通信インフラの普及についても同じ。

でもここで言いたいのはそれだけじゃない。

例えばパソコンを使えない人。
携帯電話が苦手な人。
お年寄りや機械に強くない人なんかがそうだ。

これは別に今に始まったことじゃない。
デジタル・ディバイドととして昔から言われている問題だ。
そしてある意味これは時間の問題かもしれない。
今のパソコン・携帯を使い慣れた人たちが歳をとれば、ある程度は自動的に解決するかもしれないから。

ただ、まだそれにはちょっと時間がかかるし、機械オンチな人はいつの世にもいるから
「使いたいけど使い方がわからない」という人にリーチする必要はあるだろうね。

その上で「俺ぁそんなもん使わねぇ!」って人はそれで結構。
それも立派な選択肢の一つだ。
そういった環境においても、社会保障レベルでの格差が生じないようにするのが大事だろうね。

あともう一つ、国境問題がある。

ここで言う国境問題とは、例えば中国におけるgoogleのフィルタのようなことだ。
独裁政権の弾圧等によって言論・思想・表現の自由が保障されていない国々がまだ世界には数多くある。
そういったところの垣根は早急に取り除かれるべきだ。


2については以前ちょっと触れたかもしれない(覚書:サービス part3)。
Webが切れた場合についても考えとかないといけないよって話。
DNSの仕組みや通信インフラから個々人の意識まで含めたお話。

ネットが切れても最低限のことはできるようにしましょって事。


3はちょっと説明が必要だと思う。

例えばWebを使えば居ながらにして大抵の情報が瞬時に手に入る。
アメリカ大統領選討論会の発言内容やムンバイの天気なんかも瞬時に分かる。
MySpaceやmixi等のコミュニティに入れば、お互い顔を知らなくても友達になれる。

でも一方で、例えばあなたの隣に住む人の顔と名前は一致するだろうか?
自分が住んでいる自治体の行政責任者(市長や県知事)の名前を知っているだろうか?
毎朝散歩していていつもすれ違う顔見知りの人と挨拶しているだろうか?
ネチケットにうるさいあなたは電車の優先席付近で携帯電話をいじってはいないだろうか?
情報リテラシが高いと自負してるあなたは手紙の挨拶文をWordの助けなしで書けるだろうか?

恥ずかしながら自分は散歩の時に挨拶はしていても、隣人に顔と名前が一致しない人が数人いるし、
時候の挨拶文はググって確かめないと安心できない(Wordは高いから使ってない^^;)。
そしてそんな人は結構多いんじゃないかと予想する。

このアンバランスな状態は一体何なんだろうとWebを使い始めた頃から思っている。
そしてこの状態は決して健全ではないと思う。

これは結局コミュニケーションのバランスの問題だ。
一方では非常にグローバルに拡大したが、一方では極めてローカルな狭い場所に閉じこもっている。

「そんなの別に分からなくてもいいじゃん」という意見もあると思う。
それはある意味正しいのかもしれない。
だって別に分からないところで普段の生活に何の支障もないから。

でも「それは違うだろ」と直感的に思う。
攻殻機動隊(原作)風に言えば「私のゴーストがそう囁く」のだ。

何事もバランスが大事だ。
善と悪、正と負、陰と陽、光と影、0と1のバランスで世界は成り立っている。
そして今のこのアンバランスは正しくない、そう本能が告げる。

以前落語家の桂文珍は高座でこう言っていた。
「インターネットを使えばモスクワの天気は分かるけどカミさんの機嫌は分からない」(場内笑)
俺もその時大笑いしてたが、同時にこの問題の核を見た気がした。
そして文珍も同じようなことを考えているんじゃないかと思う。


抽象的な話になって申し訳ないが、
Webにいる時とそうでない時、オンラインとオフラインのバランスを
人々が自分でコントロールできるようになっていることが、俺が次のWebに期待することだ。

いや、何も難しい話じゃない。
隣の人と挨拶くらいしましょうよ。
電車の優先席付近では携帯いじるのやめましょうよ。
オンラインでもオフラインでもマナーを守りましょうよ。
って言ってるだけだ。

人はWebのみにて生きるにあらず。
オフ(物理現実)世界でパンを食べ、寝起きし、働き、人と会う物理的存在だ(今のところ)。

全員とは言わないまでも,大多数の人がオンとオフのマナーを守れる世界。
オンとオフのバランスを自分でコントロールできるほどに双方のリテラシが確立された世界。
皆がWebの世界と物理現実世界の垣根を認識しつつ双方を自在に行ったり来たりできる世界。


そんな世界が、俺が次のWebに期待することだ。


そしてその次には一体どういう世界がくるのだろう?


攻殻機動隊(押井映画版)のようなダークな電脳世界だろうか?
攻殻機動隊(士郎原作版)のようなポジティブな電脳世界だろうか?
それとも1970年代に夢見た2000年と現実の2000年とのギャップのように、
現在の延長として「便利にはなったけど見た目あまり変わらない」世界なのだろうか?
それとも?


そんなの、「俺に聞かれてもなー」に決まってる(笑)。

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