2007/11/29

私的録音録画小委員会とMiAU大感謝祭

文化庁文化審議会著作権分科会の「私的録音録画小委員会」の会合が
11/28あった模様(11/28/07 ITmedia)。

上記記事によると、パブコメ総数は約7500件。
これが多いのか少ないのかは正直良く分からないが、
以前文化庁の人も「かつてないほどの数が届いている」と言っていたので
きっと多いほうなのだろう。
そしてその内約8割が私的複製を定める著作権法30条の適用範囲についてのものだという。

パブコメを書いて送った者の1人として、
まずはパブコメがきちんと届いたことを素直に喜ばしく思う。

しかし、記事を読む限り所謂「権利者」と「ユーザ」間の議論は依然として平行線だ。
私的録音録画補償金制度についても同様。


でもねー。

なーんか傍から見てると、小委員会も議論のための議論に終始しているようで
どうにも見ていてもどかしいんだよね、ぶっちゃけ。

ていうか、権利者とユーザ間の溝は、今の商業モデルが続く限り埋まりっこない。
権利者はコンテンツを売ることで利益を上げている以上、
その収支構造が崩れることは自己の存在を否定されることと同義だから。

そしていまのデジタル家電・ネット社会化は今の商業モデルを揺るがす訳だから
そりゃ「権利者必死だな」な状態にもなりますよ。

だから双方が歩み寄って積極的に現実解を求めていかないと、
いつまでも不毛な議論に貴重なリソースを無駄遣いするだけになってしまう。

というふうに考えてみると、少なくとも補償金については津田氏が言うように
「補償金を担保にしてコンテンツコピーの自由を対価として得る」
というのが現実的な落としどころなのかなぁとも思ってしまう。

金額の問題ではない、道義の問題だ、と原理原則主義で考えると
確かに否定したくなるんだけれど、とりあえずまだ既存の商業モデルが
継続する以上は止むを得ない仕儀なんじゃないかと。

ただiTSもやり始めたように、DRMフリーの楽曲配信ビジネスが今後拡大してくると
その考えも改めなきゃいけないかもしれない。
DRMで縛るか、補償金で補うか、両者のバランスをどこでとるかが問題だ。

けど、ダウンロード違法化だけはやっぱ反対だな。
取り締まり方法が曖昧だし罰則もなければ形骸化するだけだし現実的でない。
そんな法整備する暇があったら他のことにリソースを注いだほうが有意義だ。
(これもヒマの過ごし方?)

それにこれが違法化されると文章や写真など他の方面にも拡大される恐れがある。
やっぱそこだけは譲れない一線だ。


それと、MiAUで「大感謝祭」キャンペーンが始まった。

これは、自分が感動したコンテンツの作者達に対して、金銭的なもの以外で
なにかしらの形で感謝の意を表してみよう、それで創作者のインセンティブが
保たれることを確認しよう、というキャンペーンだ。

このキャンペーン自体は私も大賛成。
12/25にはなにがしかの形で表現してみたいと思う。どうせ暇だし(半泣)。


んでふと思ったのは、今回のこの小委員会の中に、「創作者」の声って
どの程度入っているのかな?ということ。

「権利者」はそのコンテンツの(主に販売する)権利を持っている人。
「ユーザ」はコンテンツを消費(主に購入)する人。
では肝心の「コンテンツを創る人」は?

勿論例えばコンテンツ創作者の代表として実演家著作権隣接センターの椎名和夫氏
なんかも出席されているので、決してゼロとは言わないけれど、
正直いって「他には?」って感じがするのが否めない。

コレが欧米なんかだと、例えばレディオヘッドの様にアルバムの価格を購入者が自由に
決定できる人達なんかが出てきたり
する。
確かにそれは世界規模の市場を持っているからこそ出来る業ではあるけれど、
それ以前に創作者(所謂アーティスト達)も自分達の権利意識に敏感で、
積極的に発言・行動しているように思う。

翻って日本国内を見ると、元々自己責任意識の低い民度の表れか、
自分の権利意識をしっかり持って発言・行動するアーティスト自体が少ないように思う。

デジタル化・ネット化でユーザとアーティストの垣根が限りなく低くなりつつある今、
アーティスト達も自分の権利をしっかり認識し、発言・行動する時ではないだろうか。

例えば昔、松本人志が入場料をタダも含めて観客が自由に決められるトークライブをやったと記憶する。
音楽や演劇・映画でも、そういうアクティブな行動に出るアーティストの登場を望む。

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